子どもに難しい言葉を浴びせかけることについて

激しく同意しつつ
懐かしい歌を思い出した。

禿頭帽子屋の独語妄言 side A: # これも愚民化の一環かしら

「理解できないから簡単にする」—そういう方向って、ほんとは思いっ切り間違っていて、実はここ何十年か続いたそういう傾向こそが、この手の無知な若者たちを生み出してきたのだということを、大人たちはもっと真剣に考えなきゃいけません。

卒業した小学校の校歌は
紅が細く棚引くだとか
よもの山々に緑が映えるだとか
そういう小難しい歌詞で、
しょっちゅうこれを歌わされていた。

こんな歌詞を聞かされたところで
6歳児にはわかりゃしない。
漢字だったら読めないし、
ひらがなで書いたら余計意味がわからないし。

しかしこうやって聞かされて口にした言葉はずっと記憶に残っていて、
もうちょっと大きくなってから言葉や漢字を覚えると
あの「くれない」ってこの「紅」かあ!とか
「紅がたなびく」って、赤く染まった雲のことかあ!とか
「よものやまやま」の「よも」って「四方」かあ!とか
「よもやま話」ってそういう意味かあ!とか
緑が生えるんじゃなくて、緑が映える方かあ!とか
いちいち感動する。

「こういう言葉があって、それはこういう意味だよ」と
言葉と意味を同時に与えられることもあるが、
先に言葉だけを聞かされ
何だかわからないけどそういう言葉があるんだな、と思わされて
あとから意味がわかるということも多々ある。

状況にもよるし個人差もあるだろうが、
後者の方が印象が強くて
とけ込むというか腑に落ちるというか
とにかく身につきやすいんじゃないだろうか。

わからないことについて「あれは何だろう」と思う気持ちとか
できなかったことができるようになったときの喜びとか
人の成長にはそういうものが不可欠だ。

「理解できないから簡単にする」というだけでは
そういった大切なものを奪うことになって実にもったいない。

ただ前述の記事は映画字幕の話で、
「だって見に来てくれなかったらどうしようもないじゃん」
と言われたらそれもそうかなという気もしてくる。

映画ぐらいしか娯楽がなかった時代と違い
今は手軽な娯楽がいくらでもあるから
「あーわかんね」となった時点で観客が離れていくことは十分考えられる。

結局のところ
概挺を玅駕として而々侯莫たる許笙を椅うしかないのだろうか。

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2 Responses to “子どもに難しい言葉を浴びせかけることについて”

  • 2008/05/12 10:56

    意味のわからい言葉ほど記憶に残るというのは、まさにその通りで、だからこそ、こんなサイトもあったりするわけですね。
    http://www.nishiarai.net/nichikon/index.html
    ところで最後の1行、メールでもいいので解題をお願いします。

  • なつ

    2008/05/13 10:31

    私も子どもと話していて、「こういう時はどう説明したらいいのかなあ」と思うときがあります。そういう時は、開き直って大人に話すような言葉を使って説明します。まあそのうちにわかるかなあ、と思って。