喫煙者が長年積み重ねてきた努力を、非喫煙者も見習うべき

ちょっと気になる食堂がありまして、ちょうどいい機会があったから立ち寄ってみました。

ただタバコの煙が苦手で、よほどのことがないかぎり禁煙または分煙のお店へ行くようにしているので、入る前にお店の方に聞いてみました。こちらは喫煙可ですか禁煙ですか、と。

そしてこちらは「喫煙の」お店でした。ざんねん。諦めて近くにある別のお店へ行きました。

答えはいつも同じ

ところで飲食店などでこういった質問をしてそこが喫煙可能なお店だった場合、返ってくる答えは毎回同じものです。「だいじょうぶです。おたばこ吸えますよ。どうぞ」と。

こちらは一言も「吸いたい」などとは言ってないわけです。むしろスモークフリーな環境で食事をしたいから確認しているのに、常に「吸いたい人が吸っていいかどうか聞いてきた」と判断されます。

少々聞き方を変えても同じことで「喫煙可ですか」だろうが「禁煙ですか」だろうが「こちら、タバコは・・・」だろうが結果は変わりません。実際には吸いたいと思っている人の方が少ないにもかかわらず。

これ、喫煙者が積み上げてきた努力の成果なんじゃないかと思うんです。

努力の違い

飲食店でタバコを吸いたい人たちは長年にわたって「自分は食事をしながら、あるいは食後にその場所でタバコが吸いたい」と表明し続けてきているように思います。店員さんに「吸えますか」と聞いたり「灰皿ください」と依頼したり、行ったお店が禁煙だったら「え、吸えないの」と残念がったり。

こういった行為は「飲食店でタバコを吸いたいと思っている人」の存在感を示すことになります。

それに対して、煙を避けたいと思っている人が声に出して相手に伝わる形で「タバコの煙が苦手なんですけどこちらはだいじょうぶでしょうか」という内容の確認したり、そこが喫煙可のお店だったら「じゃあやめときます」と退店したりすることは比較的少ないんじゃないでしょうか。

飲食店で「喫煙可か禁煙か」と聞いてくる人は吸いたがっている人だ、と判断されるのは、この意思表明の程度や頻度の違いによるものも大きいんじゃないかと思っています。

これは稀に見る少数派の大勝利だ。喫煙を愛する人たちは自らその居場所を確保してきた。

翻って見ると、嫌煙の人は努力が足りない。

ちゃんと表明しよう

少しずつ変わってきてはいますが、今でも飲食店、特に居酒屋と呼ばれるような場所の多くは喫煙可です。2020年に向けて法律が変わるかと思いきや、なんだか雲行きが怪しくなってきている。

この状況について「つらい」とか「これだから日本は」とか愚痴るのは簡単だけど、それだけでは何も変わらない。意思表明を続けることで自分の居場所を確保する努力も忘れてはいけないと思うんです。

ここまで書いて思ったけど「禁煙席ありますか」なら気持ちは通じますね。禁煙席のすぐ隣が喫煙席になってる飲食店もけっこうあるからそれだけではあまり実用的ではない気もするけど。

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