わけもなく行動する人間が、動物の行動には理由を求める不思議

動物の行動を目にすると
その理由を知りたい気持ちが働くんだけど、
自分に置き換えてみればわかるんじゃないか、というお話です。

サギの集団

先日、友人と数名で少し高い所から窓の外を眺めていたときのこと。

たぶん鷺だと思うんだけど、
近くの建物の屋根に、数え切れないほどの鳥がいた。

翌日同じ建物を見ると
やはりそこには同じように白い鳥が群れをなしている。

なぜなの

集まっていること自体はわかる。
群れをなす鳥であれば、ひとつところにかたまっているのは自然なことなので。

でも「なぜその建物なのか」というのがわからない。

近くには同じようなつくりの屋根をもった建物が他にもあるのに、
なぜかいつ見てもそこの屋根だけにいる。

何人もが同じ光景を見て
同じように「なんであそこなんだろう」という話をした。

じゃあ、君はなぜ

でもふと思ったんだけど、
もしその鳥のリーダーと会話をすることができたとして
「なぜこの建物なんですか?」と聞いたら
「いや特に理由ないけど。何となく」ぐらいの返事が返ってくるんじゃないだろうか。

逆に鳥の方から

「じゃあ、君はなぜその部屋に住んでいるの。
近くには似たような部屋がたくさんあるのに。」

と聞かれたら、
特に明確な答えは出せないんじゃないだろうか。

理由なんてない

一般に「理由」とか「目的」とかいうことに関しては
鷺よりも人間の方にそれを認めることの方が多いように思うんだけど、
人間である自分はつねづね特に理由もなく行動するくせに
他の動物の行動についてはいつも「なぜ」を求めてしまうのはなぜだろう。

そしてまたこの「なぜ」に「なぜ」を問うてしまうのはなぜだろう。

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