あのころ夢見ていた未来は、少し違う形でやってきた

生まれた時からネットとケータイがあった世代には
何を言ってるのかわからないかもしれませんけど
ぼんやり思ったことを書きたくなったので。

未来が来た

電車で移動しながら、買うべきものを思い出したので
Android 携帯を使ってその場で注文した。

未来だ。子供のころ思い描いていた未来。

ただ、思っていたのとは2つほど違う点がある。

ひとつは、もっと早くそういう時代が来ると思っていたこと。

もうひとつは、その役割を果たすだろうと思っていたのは
携帯端末ではなく、テレビだったこと。

もう少し後だった

最初にこんな未来を思い描いたのは
小学校1年か2年かそれくらいのときだった。

まだ携帯電話も WWW もこの世になかった頃。
目に入ったコンテンツに関連した商品を
自宅に居ながらにして買うことができるようになるんだよと
SF みたいな話を耳にした。

しかもそれは、もう目の前までせまっているという。

自分が高校生ぐらいになるころには
もうおうちでピッピッパっとやれば
あんな物もこんな物も簡単に買えるようになるんだろうな。

幼い頭でそんなことを思ったんだけど、
実際にそれが家庭にやってくることはなかった。

その後、それとは少し違った仕組みの
インターネットというものが普及することになるんだけど、
「普及した」と言えるようになったのは
それから20年以上先の話だった。

テレビじゃなかった

その未来を連れてくるのは、テレビだと思っていた。

テレビ番組を見ながら、そこで目に入ったものを
線で繋がなくてもいいリモコンを使って
その場ですぐに買うことができるようになる。

その未来は、やってこなかった。

代わりに、似たような、もっと夢のような未来を連れてきたのは
ポケットに収まる小さな端末だった。

もちろんスマートフォンの登場を待つまでもなく
インターネットに繫がったパソコンがあれば
もっと前から同じことはできたんだけど、
日常的にパソコンの画面を目にしてるのなんて
ごく一部の人だけであって、
かつてのテレビみたいに、いまのケータイみたいに
誰も彼もがいつも触れているようなものじゃなかった。

最終的に条件を満たしたのは
テレビじゃなくて、ケータイだった。

テレビはテレビのままで

だからケータイとウェブが素晴らしいとかテレビがダメだとか
そういうことではありません。まったく。

それぞれのメディアにそれぞれの役割があって、
法的にも倫理的にも技術的にもできることとダメなことがあって、
インフラの限界や投資効率や代替手段の登場やエラい人の一言や
いろんな要素が重なって今があるんだと思う。

ただ、結果として未来を映し出したのは
大画面でハイビジョンの AQUOS じゃなくて
4.3インチの Xperia だった。

もうテレビはそっちの方向じゃないんだろうな。
多用なメディアと繫がったり双方向通信をしたり
そういうのは、もうテレビの役目じゃない。

テレビはテレビのままでいてくれたらいいと思う。
毎週タイムボカンシリーズを楽しみにしていたような
あんな気持ちを届けてくれる、テレビというものであってくれたら。

あ、こないだ始まった『半沢直樹』っていうドラマおもしろいと思います。

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