で、YouTubeとはどうつきあっていくのか

YouTubeが広まっていることに関連して
著作権についての議論が喧しい。
 関係ないが、
 「かまびすしい」という言葉を
 初めて使った気がする。
他人の著作物を無断でアップロードする輩が後を絶たず、
そもそもそのような行為を可能とする
YouTubeという仕組み自体の是非についても論じられているようだ。
この件に関して思うところはいろいろあるが、
それとは別に何となく思い出したことがある。
モノとしても議論の流れとしても
直接は関係ないのだが、
携帯電話が普及し始めた頃のことだ。
あの頃
急速な広まりを見せる携帯電話をどう扱うか
特に中学校や高校では
様々な議論が交わされていたようだ。
マナーのなっとらん奴が多い。
犯罪に巻き込まれる恐れがある。
何だかよくわかんないけどマズいんじゃないか。
結果、多くの学校が
携帯電話禁止
というルールにしてしまった。
学校が学生の行為に制限をかけること自体には
反対ではないし、ある程度必要なことだとも思っている。
しかし、この時は
それは違うのではないか
という気がした。
違う」というより
無駄だ」の方が近いか。
目の前で起こっていることに対して規制をかけても、
テクノロジーの進歩と
それに伴う市場の拡大を止めることはできないからだ。
その流れは受け止めた上で、
じゃあどうつきあうか
を議論するのでなければ実効性がない。
結果として、
禁止しようがすまいが
携帯電話は爆発的に普及した
いまさら「ダメだ」と言うのが
いかに虚しいことかは誰の目にも明らかだ。
さて、テクノロジーの進歩によって生まれ
市場の需要によって拡大したYouTubeとは
今後どんなつきあい方をすることになるのか。
今でも「携帯電話禁止」のところが多くあるようだが、
禁止」の前に見えない文字で
一応」と書いてあるような気がしてならない。

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3 Responses to “で、YouTubeとはどうつきあっていくのか”

  • 2006/07/15 09:02

    YouTubeを楽しむ – 動画共有サービスで驚異の映像を満喫

    前回は写真共有サービスを取りあげたが、 写真の共有ときたら次は当然これだろう。 …

  • 2006/07/15 16:18

    規制によってコントロールできない勢いに対して強権的に禁止と謳っても効果が薄い、なるほど、その通りだと思います。
    では、細かなルールを作り、制定するのがより良い道かと言えば、それも違いますね。
    今の日本人が少しづつ失っているのが”美意識”。
    社会通念に沿った”自分ルール”と言ってもいいかしら。
    ”この条件の場合はコレが規制の対象となります”といった細かなルールはただ息苦しいだけで、すり抜ける人はすり抜けます。
    ”コレをすると、こういった人に迷惑をかけるかも知れない”、”こういう利用方法は卑怯だ”という自分ルールに従う方がずっと楽ですよね。
    そういった人間性を育むのが家庭であり、学校ですね。
    社会に細かなルールを求める前に、身近な教育を理想に近づけていくべきかも知れませんね。
    そう、そんな大義のある学校が深く考えずに禁止とは、教育の薄っぺらさが露呈しているようで、憂慮します。
    さて、こんな長文コメントはかまびすしかったですか?

  • 2006/07/15 17:26

    > のりさん
    「美意識」は大切にしたいですね。
    ある行為を避けるべき理由として
    「品がないから」というのはかなり重視すべきものだと思います。
    学校については、あんなことを書いておいて言うのも何ですが
    それぞれの現場にはそれぞれの状況があるので
    一概には言えないんですよね。
    「もうこれは、理屈もクソもなしに禁止する以外にどうしようもない」
    という場合だってあるかもしれませんし。
    やはり現場の人たちの多く(残念ながら全部ではない)は
    教育の場のあるべき姿を考えて
    変わりつづける環境と本気で向き合い、
    ギリギリの決断を下しています。
    それはそれで尊重すべきことだとは思うんですけどね。